2010年1月 9日 (土)

総柄はTシャツらしさを奪う

Roseshirts

Chidorishirts

(上の二つは参考図として作ったものです) 

 上のような総柄のTシャツはほとんど見かけない(ボーダー柄を除いては)、というのは何故でしょうか?

 それは、もしTシャツに総柄を施すとTシャツらしさが失われるからだ、と考えられます。

 「Tシャツらしさ」とは「楽」、すなわち「緩(ゆる)」であり「軽(かる)」でした。Tシャツにおける総柄は、この「軽」を失わせ、そのTシャツを重く感じさせるのです。

 ここで、Tシャツではなく、他の衣服たとえばワイシャツでもブラウスでも、ジャケットでもスカートでも、何でもいいのですが、そういった衣服で総柄のものを見るときのことを思い出してみて下さい。
 私たちはそのとき、「これはこういう柄の生地で作られているシャツ(スカート、その他なんでも)だな」と考える、と言うか、意識する、のではないでしょうか。
 そういう柄の布地を裁断し裁縫して作ってあるな、と。

 つまり、総柄は生地を意識させるのです。

 もちろん、無地の衣服についても、生地に注意は向きますが、総柄のときは特にそのような気がします。というのは、私たちは、この柄はどんな生地に施されているのか、どんな生地でこの柄を作り出しているのか、ということを考えずには、いられないからです。

 柄とは「見た目」ですから、その見た目に惑わされず、しっかり生地を見きわめよう、という意識がはたらくのだと思います。

 こうして、総柄の衣服を見るときは、「こんなデザインの衣服だ」とか「こんなデザインの衣服をこの人が着ている」とか意識しながら、その衣服の「生地」というものにも、知らず知らず、意識が向いてしまっています。
 生地とはモノです。モノは重さをもっています。生地を意識するとはしたがって、衣服の素材の重さを意識することです。

 絹のブラウスとレザーのコートを見るときの気持ちを両方とも思い浮かべてみれば、私たちは、一般的に衣服を見るとき、その「重さ」というものを意識している、ということに気づくはずです。

 さて、そこでTシャツです。

 私たちは、誰かがTシャツを着ているのを見て、そのTシャツの重さなどというものを意識するでしょうか。決してそのようなことはないでしょう。Tシャツは重さを感じさせません。特に、白の無地のものは重さという感覚とは無縁です。

 私たちは、白の無地のTシャツを「白い色のTシャツ」とは意識しません。むしろ、「色のついてないTシャツ」と感じます。これは、一般的に私たちは、色の感覚としては、白については「白という色がある(白い色がついている)」とは感じなくて、「色が無い」と感じるのです。

 画用紙を見ても、白い色の紙、とは考えません。色のついていない紙だと普通は意識しています。「潔白」とは罪が無いことですし、真っ白いウェディングドレスは純潔無垢であることの象徴です。このように普段の暮らしの中での私たちの意識においては、「白」は「無い」に結びついています。

 ですから、白の無地のTシャツが、その生地を意識させることなく、衣服としての重さを全く感じさせないのも当然であるわけです。

 そしてさらに、例えば胸の部分に文字とかイラストが施されている(つまりTシャツ全体にではなく一部に)と、私たちの意識はそちらへ向き、生地へ意識が向くことはいっそう少なくなります。

 ところが総柄だと様子が違ってきます。総柄を見ると、先ほど言いましたように、こんな柄の生地で作ったのだな、と私たちの意識はどうしても生地へ向かってしまいます。
 たとえそれがTシャツであろうとも、「総柄は生地を意識させる」というメカニズムは働いてしまうのです。その結果、そのTシャツは、生地の重さを意識させ、「軽(かる)」というTシャツらしさを失ってしまうのです。

 カラーTシャツは無地であっても、白の無地のものより重さを感じさせます。色は何らかのモノを連想させるからです。

 最後に、Tシャツにおける唯一の総柄と言えるボーダー柄について触れる必要があるでしょう。ボーダーはなぜ受け容れられているのでしょうか? 
 それは、ボーダー柄においては、視覚心理学的に、生地を意識させる力より、「おだやかさ」・「平静さ」などを連想させる力の方が勝っているからだ、と考えられます。
 そのような感じを与える理由については、昨年の11月9日の記事に書きましたので、読んでみて下さい。

 今日は、一般的な総柄について考えましたが、下のような、イラストを全面に施すタイプについてはどうでしょうか。これについては次回ということにしましょう。

03

161

(上の二つはいずれも、ピエ・ブックス発行の『T-SHIRT GRAPHICS』から転載させていだたきました)

2009年12月31日 (木)

最近の作品

010

ネスカフェのボトルを見て上のような作品「BOTTLE」を作りました。「デザインガーデン」には下の二種類を登録しました。(このデザインのTシャツはわたしのブランド「Go straight!」のページから購入できます。)

Bottleorange

Bottleblue 

出来上がった作品を見ているうち、フタの部分をもっと軽くすればどうかな、という気がしたので、少し変えて、下のように今度は「CAN」という作品を作りました。カンのフタがポンと飛んでいるというイメージなんですが・・・

011

これも二種類作りました。

Canpurple

Canpink 

今年はブログを始めて色々と楽しい出会いに恵まれた年でした。

来年は『ジョークの楽園』という古今東西のジョークやユーモア小咄を味わうブログを始めます。当『ブエナ・ビスタ・Tシャツ・クラブ』ともども、よろしくお願いいたします。

 では、皆さま、よいお年を。

2009年12月27日 (日)

Tシャツらしさとは?

 11月9日の記事で、身体がほっそりして見えるはずの縦縞のTシャツは見かけない、太って見えるかもしれない横縞(ボーダー)のTシャツを女性でも平気で着ている、という観察をしました。
 そして、これは、Tシャツを着る場合、女性は(男性も)他人の目をあまり意識しないらしいということ、したがって、他人の目を意識しないでいい気楽さこそは、Tシャツのありがたさだ、と書きました。

 今日は、「他人の目を気にしなくていい」ということについて、少し考えてみたいと思います。

01

 今でこそ、Tシャツはある程度、衣服としての地位を得ていますが、当初はおそらく、Tシャツ姿というものは、少し礼儀を欠くものだと見なされていたに違いありません。

 Tシャツはもともと軍隊の制服の下に着るアンダーウェアであり、第二次大戦が終わって米国の若い兵士たちが大学に戻ったとき、着慣れたそのアンダーウェアをそのままキャンパスで着て過ごし、それがだんだん一般に広まっていったと言われています。

 私たちは漠然と、米国人は開放的だというイメージをもっていますが、米国人だとて、キャンパス内でのアンダーウェア姿はあまり感心したものではない、という感じをもっていたでしょう。
 しかし、戦時下における様々な面での締め付けへの反動の現われとして、アンダーウェアをそのまま着るというような開放的な風潮もある程度はやむを得ない、というように認容されたのでしょう。

 だから、Tシャツはその誕生のときから、開放的、気楽さ、といったものと結びついた衣服であったわけです。

02  

 そして、アンダーウェアであったということを忘れて、衣服としてのデザインという観点からTシャツを見るとき、一つの特徴が、やはり、「気楽さ」というものに結びつくということに気づきます。
 その特徴とは、襟がない、ということです。

 仕事着とか公的な場で着る衣服には襟があり、プライベートのときを過ごす場合に着る衣服には襟がありません。例えば、リラックスしているときに着るカーディガンに襟はありません。
 反対に、公的に最も厳しく身を律することが期待されている立場の人間が着るのは詰襟です。

 衣服というものは、身体を保護するという役割を果すと同時に、その人の社会的立場(職業、身分、状況)を他人に分からせるという役割を常に果たしています。
 これは何も難しく考えなければならないことではなく、私たちは日常生活において、他人を判断するのに着ているものを見て判断することを普通に行なっています。

 そこで、襟元に注目してみます。

 きちっとネクタイを締めて背広を着ていれば、その人は仕事中であると判断されるし、襟元の開いたカラフルなアロハシャツのようなものを着ていれば、レジャー満喫中だなと判断されます。女性の場合、胸元が大きく開いたようなデザインのドレスを身にまとっていると、女性としてアピールしようとしているなと判断されます。
 芸人の衣裳の滑稽なほど大きな襟とか、宴会用のタキシードの細い襟のことなどを思い出してみると、襟がいかに「語る」かがよく分かります。

04

 要するに、「自分はこのような衣服を着ています」と他人に分からせるということは、非常に重要なことであり、その重要なことを最も効果的に果す部分が「襟」なのです。
 つまり、服を見てその人を判断するとは、その服の襟を見て判断することだと言い得る面もあるわけです。

 そして、ある衣服を着て、その襟元を締めつけているということは、他人に、自分は衣服を着ているぞ、と強く印象づける効果があります。
 つまり、襟元を締めつけるということは、単にデザイン的・装飾的面白さや美しさを見せる、ということにとどまらず、その行為の根底に、衣服を着ているということ自体をアピールする目的が横たわっているわけです。それは、そのまま、自分の社会的立場を強調することになります。

 したがって、反対に、襟元を締めつけない、例えば、ネクタイを緩める、カーディガンのような襟のない衣服を着る、というようなことは、社会的立場を強調しない、ということになり、「自分はOFFである」と他人に表明することになるわけです。

 他人は、その人がOFFであることを見てとり、その人を社会人として評価する見方を緩めます。そのため、その人は、他人の目をあまり気にする必要がなくなり、精神的に楽になれるわけです。

 こうして、Tシャツを着ることは、身体的に楽であるばかりでなく、精神的な楽をも私たちに与える、ということが分かります。
 要するに、TシャツのTシャツらしさとは「楽」という一言で言い表わすことが出来るわけです。

 次回からは、そのようなTシャツに、総柄のデザインを施すことは流行らないようだがそれは何故か、ということを考えてゆくことにします。

03_2

2009年12月 6日 (日)

最近の作品

 11月11日の記事で紹介したしーちゃんの『銀杏』から大きな感動を受け、『T-SHIRT GRAPHICS』に強く刺激されて、自分のこれまでのTシャツのデザインに対する姿勢を大いに反省させられました。

 どうもこれまでは、Inkscapeというソフトを勉強中という意識がはたらいて、こんなことも出来るんだ、あんなことも可能だと、おっかなびっくりな姿勢でデザインしていたようです。

 しかし、すぐれた作品に接し、自分のそのような姿勢を反省させられました。むろん、まだInkscape初心者であり、勉強中であることに変りはありませんが、作品を作るんだという気持ちを強く保持すべきだと気づいたのです。

 要するに、しーちゃんの『銀杏』と『T-SHIRT GRAPHICS』から「お前は腰が入っていない!」と一喝を喰らったように感じたのです。

 そこで、デザインガーデンに作品を投稿することをしばらく控えて、少し時間をかけて(と言っても一ヶ月足らずのことですが)作品づくりをしました。

 腰の入った作品になったかどうか、分かりませんが、今日はその最近の作品を発表します。先日まとめてぜんぶデザインガーデンにGo straight!の商品として登録しました。

Cube

 これは「CUBE」という作品名にして、カラーバリエーションを以下の3点作りました。

Cubeorchre

Cuebleu

Cubepurple

 次は、単純に「ばね」を大きくデザインして、「SPRING」という作品とし、これも三点ほど色違いを作りました。

Sprng

Springgreen

Sprngblue

Springyellow

 次は、「TAG」です。はじめは影をつけていなかったのですが、影をつけたことで、「クール」になったかな、と本人は思っているのですが・・・

Tag

Tagred   

Taggreen

Tagviolet

 昨日の記事で、「非具象的なかたち」はTシャツのイラストには向かないようだ、と書きましたが、あれこれやっているうちに、次のようなのが出来ました。こんなかたちのオブジェがそこにたたずんでいる、というような感じを受けましたので、作品名を「STAY」としました。

Stay

Staypink

Staypurple

Staygreen

 寒くなってきました。大変寒がりの私はやっぱりTシャツの季節がいい!
 冬が来る前から来年の夏が待ち遠しい今日このごろです。

             

2009年12月 5日 (土)

「非具象的なかたち」のデザイン

 今日は『T-SHIRT GRAPHICS』から、絵画の世界でいうところの「非具象的なかたち」をイラストとしたものを、探してみたいと思います。具体的なモノとして、私たちが身近に接することのできるモノの形を描いたのではなく、純粋な「かたち」あるいは「図形」をイラストにしたものです。
 ですから、ただのマークに見えるものもあります。

 10月1日に禅僧仙崖の軸を採りあげて、○△□という三つの「かたち」だけを描いた作品を紹介しましたが、次のTシャツも○と△と□だけのデザインです。

44
(MOCA MOCA MOCA   アメリカ1992)

 他には以下のような作品が見つかりました。

 22
(GOTCHA   アメリカ)

25
(AXION DFSIGN   アメリカ1991)

29
(PACIFIC DESIGN CENTER   アメリカ1992)   

 34
(HELTER SKELTER   日本1992)

35
(STEVE KEOUGH PHOTOGRAPHY   オーストラリア1991)

37
(FLIPPER'S GUITAR   日本1991)

39
(HOLLAND DANCE FESTIVAL   オランダ1991)

42
(THE BROOKLYN HOSPITAL CENTER   アメリカ1990)

46
(SILENCE=DEATH   アメリカ1987)

47
(STRANGE ATTRACTIONS   イギリス1991)

 『T-SHIRT GRAPHICS』に収められている700点あまりの作品のうち、「非具象的なかたち」をイラストとしたものは、以上のわずか11点だけでした。

 そして、残念な、と言うべきかどうか、言葉に迷ってしまうのですが、上の11点は、デザインとしては優れているかも知れないが、昨日紹介した「具象的なもの」を題材にしたイラストに比べると、迫力や面白さの点ではもの足りない、ということは、誰しもが認めざるを得ないところではないでしょうか。

 絵画の場合は、非具象作品(または純粋抽象作品などとも呼ばれる)は、写実的具象的な作品に比べて、迫力や面白さにおいて、決してひけをとることはないし、むしろ、より強く私たちを惹きつける作品も多い。

 しかし、Tシャツイラストにおいては、どうも、「非具象的なかたち」を題材にするのは、向かないようなのです。もし、向くのなら、多くのデザイナーが手がけているはずです。
これは一体どういうわけでしょうか。

 ここには、私たちはなぜTシャツにイラストを施すのか、という興味深い問題に対する答えのヒントが隠れているような気がします。今日は、問題提起だけにとどめ、詳しく考えるのは後日にすることにします。

      

«『T-SHIRT GRAPHICS』

このブログです

このブランド名でデザインしていますので、見てやって下さい

こんなブログもやってます

2011年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

しーちゃんのTシャツ屋さん

DTSearch

東京Tシャツ部

無料ブログはココログ